BRESS Windows7 HD5870 等々

BRESS廃業のことを今頃知った
中央通り四差路からTZONEの辺りに移転したことすら知らなかった

PCサクセスに始まり高速電脳・USERSIDE・LAOXツクモそしてBRESS
秋葉は既にパソコンの街では無くなってしまった様だ

80年代には渋谷のJ&Pが1店舗で日本の10%を売っていた時期があった
僕はそのころzeitというソフトハウスを経営していたが
噂だけでなく渋谷J&Pに入荷されたソフトの数を10倍すると
ぴったり全出荷本数になることを何度か確かめた

何年かしてJ&P(上新電機)の創業者が
「何があってもパソコンだけはやめるな」と
言い残して亡くなり
秋葉にはTheCOM(LAOX)ができた

その頃はパソコンのマーケットもかなり大きくなっていたが
TheCOMの力は圧倒的でやはり10%近く売っていたように思う

TheCOMは盛んにメーカーとのジョイントを進め
旗を立てた平棚のコーナーを作り100本でもソフトを積み上げ
メーカーから販売員を送りこませ商品の前に立たせ売り込む
デパートなどでは当たり前のことだが
パソコン業界では画期的なことだった
(キャンペーンのスペース料を取られるのだが)

その手法でTheCOMを成功させた店長が
興した会社がPCサクセスだという

沖縄に5年暮らした後
ASCIIの遠藤さん(元ASCII編集長)を訪ねたとき
「今後自作PCのマーケットは細る一方だ」と聞き
なんだか解せない気持ちでいたが
結果からいえば間違っていなかったかもしれない

おそらく自作PCが一番盛り上がったころ僕は沖縄にいて
AMDintelが史上初の1GHzCPUを競い合い
ATInVIDIAがDirextX8.1に対応した映画のような3Dカードを競い合っていた頃か
まぁ一番もうかったのはもう少し前かもしれないが

僕が23のときzeitを作り瞬く間に知られたソフトハウスの一つになれたのは
当時出始めたマウス(日本のアルプスが製造した鉄玉を使ったもの)の波に乗れたからで
JUNSにしてもCore2Duoの衝撃によるパワーマシンの需要拡大があったと思う

しかし一眼デジカメやAVCHDカメラなどパソコンがなければどうしようもない製品が
いくつも発明され大ヒットしたのにパソコンの使われ方は今も大して変わっていない
簡単に言えば基本的な目的はネットの端末であって
オンラインゲームをしたい人以外は速度や機能も求めていない
そのオンラインゲームも昔の勢いはない

まぁパソコンという名前にとらわれる必要もない
携帯のOSがWindowsLinuxに変わり
家庭のテレビや照明エアコンまでがネットで結ばれ
外出先から寝ている赤ちゃんの様子を確かめたりエアコンの温度を変えたり
クラウドに保存されたお気に入りの写真や音楽を楽しみ小説まで携帯で読む

そんなステレオタイプな未来は既に始まっていて
そこには巨大なマーケットが存在する

たとえば廃業するということは
時代を放棄もしくは読み違えたとも言えるかもしれない

しかしBRESSや高速電脳のような個性のあるお店が無くなるのはやるせない
猛烈な競争の結果グラフィックはNVIDIAAMDの二社
マザーは実質ASUSGIGABYTE+MSIといった感じで
世界中のパソコンがコンビニやファミレスのように画一化して
クロックは3GHz程度で頭打ち64bitの効果を示すソフトも出せないからメモリも4G
進化が止まれば不毛な利益なき安売り競争が始まる
さらにこの夏はWindows7待ちで特に振るわなかった

しかしRadeon HD5870が登場しWindows7もそろそろ発売となりマーケットが動き始めた
その直前に廃業を選択せざるを得なかったBRESSの胸中や如何に

BRESSは店頭のセンスこそ古めかしかったが
XEONやFB-DIMMなどハイエンドなパーツを常備している希少なショップだった
店頭のオーディオ専用PC等にオーナーのこだわりも感じた
どこか昔の秋葉の匂いが残っていた(無線とオーディオの街だった70年代初頭か)

しかし現実はちゃんと受け止めることにしよう

今は21世紀が本当に立ち上がり始めた時期で
20世紀の単語にこだわり続けること自体が危険だ

5年前には夢とも思われた途轍もない技術が無数にある
これらの活かし方を考えてこそ商売も成り立つ

ものを売ることが目的ではないし
お客さんもお金を消費する満足を望んでいるわけではない
Wiiのような新しい楽しさや感動を提案・具現化できるかどうか
規模の大小にかかわらず
すべての発想を新たに組み立てなおさなければならない