ある精神病棟の一日


三沢光晴さん死亡のニュースはプロレスを全く知らない僕にも衝撃だった
自分が作った会社の自分が主催する興行で自分のスカウトした相手との試合で命を落とすなんて
その場にいた人のブログでは試合中度々首をひねる様子で調子が悪そうだったという

いったい命をかけてまで行う仕事なんてあるのか
数千年の文明を経た今も人は命がけで無ければ生きていけないのなら
人間は動物や魚や昆虫と変わらない
歴史は何を人に与えたのか

NHK年金記録漏れで嘆く老人の番組を見たが
何百万・何千万もの年金データ入力ミスなんて偶然に起こることではない
支払いを踏み倒すために国家が仕組んだ悪魔的詐欺行為だ
ミスが発覚しても修正に10年以上時間をかければ
1千万人くらいの年寄りが死にその分支払いを減らせるという計算だろう
一方で高齢者や障害者からも保険代を徴収する法案を成立させる

『姥捨て山』がまかり通る国で
まともに生きろと言う方が無茶だ

思い出せば全ては1980年代に隠されている気がする
あの『バブル』や『ペレストロイカ』そして『崩壊と破壊』
守り通してきた何かが切れてしまった
2000年もかけてようやく積み上げた物を壊してしまった

そこに果たしたコンピュータの役割の大きさを考えると
いまネットが何を変え破壊しているのか考えるだけで恐ろしい

今日は超高解像度写真を撮影に行くつもりですが
その前に昔の写真をアップします


■精神病棟の一日
人間はそんなに強い生物でない
特に巨大な悲しみに弱い
それから自らを守るためには
感情を捨てる事で生命を保つ
哀しみの吹き溜まりの場所
それがここにあった。